SL14B

2005年、私はi MODEを駆使してケータイサイトを作ったりして遊んでいた。
レゲエ専門のサイトが当時はほとんどなかったのだけれども、爆発的にケータイ用個人HPが流行り出していて、それ用の10x10px程度の小さいHP素材を制作し無料配布していたおかげでアクセス数は一日3000人は居たと記憶している。
アクセスが増えればそのアクセスを金にしたくなるじゃないか。
地味な努力を重ねた結果、ケータイサイト向けのアフィリエイト広告で月5万円~10万円の副収入を得れたので、それを元手に古着屋などに行っては良さそうな物を購入、そいつをオークションサイトで転売、買った価格よりも安く出品していたのだけれども、どういうわけか元手の5万円が5万1千円になったり、時には8万円ほどになったりしていた。

2006年、ネットショップを開業して業種を雑貨商とし、問屋を探しまくった。
私の主な商材はシーシャやフーカーと言う水パイプ、いわゆるボングを主な商材としたヘッドショップだ。
国内で割に合わない価格の商品は、例えば、アムステルダムから大麻の種子を輸入し、また、カナダから合法ハーブを輸入し、イギリスから見た目だけ高級そうなパイプを輸入し、それを販売したり、アングラ友達にストリートで壁に落書きするライターが居たので、そいつの絵を売ったりもした。
自前のサイトのアフィリエイトリンクはアクセス毎にランダムで変わるようにしていたので、そこに自前のショップバナーを差し込むだけで、商売は驚くほど順調に追い風に乗った。
レゲエを軸としていたから、水パイプ等のヒッピーっぽい物は、実用も兼ねたインテリアとして有能だったのだろう。

同年、インターネットができれば良いと、ただそれだけの為のPCを買った。
ヤマダ電機でフレッツに入ると割引されるというチラシを見て、ヤマダ電機へ行きなんだかんだで10万円のPCを3万円で買った。
ケータイだけで手打ちのhtmlを打っていたし、HP画像を作っていた私はその便利さにハマっていき、”PCを使えばもっと色々できるんじゃねぇだろうか”と考えるようになった。
PC用のサイトを作る事に夢中になってしまって、ケータイ用のサイトは放置状態。
アクセスはみるみると減っていくと、雑貨屋の売り上げも落ちていく、正に本末転倒である。
(RLの経営時代の話はここまでだけれども、この後私は持ち直す事になるけど諸事情があって辞める事になる)

2007年、SecondLifeと言うゲームを知った。
普通、ゲームと言うのはオンラインオフライン問わず、一方的にお金を払わされるシステムなのだが、SLは違った、画期的だった。
オブジェクトはユーザーが作った物であふれていて。自分もそのオブジェクトを作って売る事ができる、そういう触れ込みだ。
PC初心者の私には敷居は高いけれども、頑張れば金になるというチャンスがあったんだ。
SLは当時、かなりの日本人が居る。
これをアクセス数と考えた私は、SLを媒体として自分のネットショップへ誘導する事を考えた。
この件はまったく面白くないので結果だけ言うと、まったく売れなかったのでソレはソレ、コレはコレと切り離して考えるに至るまでも、割と早かった。

その日、私がナニカを作りたくてSLを始めたのは間違いない。
今よりももっと多くのクリエーターが切磋琢磨していた時代だから、商品が被るのは当たり前で、それをパクリだなんだと騒ぐやつは今以上にたくさんいた。
ならばソイツよりもいい物を作ろうと、見た目の良さだけではなくギミックにこだわるようになっていく。
置物なんかには用がない、そういう時代があったんだよ。

2008年、デコトラ初号機が完成。
MESHなんてものはまだなくて、プリムでしか作る事ができなかった私は、ハイプリム部分をウェアーで補うハイブリッドデコトラを制作した。
これはようするに、ノーマルのトラックにウェアーで架装するというものなのだが、装着パーツは臨時でREZしつづけると言う、非常に負荷の高い物だと未だに思うが、そういう時代だったのだから仕方ない。
自分が興味を持っている物でなおかつSLにないものを作りたいと思って。たどり着いたのがデコトラだった。
また、この頃の私はフォトショップが苦手で、テクスチャー作業の全てをイラストレーターで行っていた。

2009年、2010年、のめり込む、つまりドハマる。
Skyにこもって一人黙々とデコトラなどの乗り物を作り続ける日々を送る。
スカルプの技術はなんとか会得したものの、当時のスカルプは崩れが酷く、またテクスを描くのがめんどくさかったため、相変わらずのプリム製の乗り物だ。
日夜未知の技術を模索し、疲弊して眠る、そんな程度では私は”充実してる”とは言えないが、それでも楽しい日々を送っていた。
ただ置いてるだけでは売れる事はないので、どうやって集客をしていくか、どうやって認知してもらうか、と言う模索を始めだした頃、Djをやってみたり、BARを開店してみたり、LBを出してみたり、PVを撮ってみたり、スナックパイレーツへ入り浸ってみたり、人を呼んで楽しんでもらうために、必死になって色々試した。
いずれにしても、人を利用して何かを得るのではなく、できるだけ誰も傷つけず、いかにして皆が楽しくなれるかと言う事を考えて実行していた。
楽しいと思う反面、常に孤独を感じていた。

2011年、モノツクリに慣れてきた頃、売り上げもそこそこ増えて天狗になった。
腰を低くというのは、これは当時、誰よりも年齢が若かったってのもあったゆえの自分のポリシーで、年上は敬ってしかるべきであると、また、話す相手の中の人の年齢がいくつなのかわからないから常に敬語だったし、結果的に物腰がやわらかく見えるので、かたくなにそれを保っていたのだけれど、心のどこかに自分への慢心はあって、いつかその慢心ってのが怠惰へと変化していった。
つまり、必死でモノツクリをしなくなっちまった。
飽き、と言うべきか、慣れ、と言うべきか、有名になった気でもいたし、天下を取った気でもいた。
俺が作ったものならなんでも売れる、そう思ったんだよ、実に情けない話しだ。
震災をキッカケに、ログインをしなくなった。

2012年、一度もログインしていない。
BANされたからだ。

2013年、新たなアカウントを制作(現在のアカウント)したけれど、あまりログインはしなかった。

2014年、1からのスタートだと思っていたけれど、0からのスタートだった。
MESHの時代が到達していたし、操作もままならないうえに、追い打ちをかけるように3D酔いがすさまじかった。
行くあても、やるべきことも見つからないまま、何かやりたいと言う思いを抱えて悶々としていたら、当時ユミックスにあったPAPAさんのSIMで世話してもらえることになり、なんとかスタートをきれた。
私の最新のデコトラを楽しみにしてると言ってくれたPAPAさんの期待を裏切りたくなかった私は、何でも良いから何か一つでも作ってやろうと、必死で覚えようと努力したし、何か助けになりたいと思った。
スカルプandプリムでの造形には自信がある、建物でもなんでもすぐ作れる。
スクリは全くダメだったし、覚えようともしていなかったからダメだったけど、町を作ろうと提案した、色々あって頓挫してしまったし、全然できなくて挫折を繰り返したけれど、楽しかった。

2015年、半年ほど、ログインをしなくなった。
某SIMの町作りに呼ばれてまたログンするようになったが、その主がログインしなくなったため、開発は中止となった、と言う事にしておこう。
Arcataの火山の横の土地を得て、ついにMESHで車を作る事に成功した。
それからトラックを作り、デコトラを作った。

2016年、昔のような必死さが自分の根っこにはちゃんとあると言う事を知る。
努力なんてのはダサイ、でも才能なんてのはないから、努力しないと、その他大勢の一人になってしまう。
他人から見たその他大勢は、これは当たり前で、自分が自分をその他大勢と認識してしまうのは虚しさを覚える。
偽りの虚栄で飾るのではなく、悩んで出した答えやその努力は自信につながるから、それはすなわち、自分自身を自分自身が特別だと思うことができる方法だし、自分の歩いてきた道を振り返って、これは誰でも出来る事、真似できる事、だけどそうやって培った経験やセンスなんてのは私にしかないもので、それをもっと磨きたい。
”SLでしか通用しないスキル”だとしてもだ、熱いだろ?

2017年、Skyには今、二人います。
あの頃、一人で自問自答し、一人で何もかもをやっていた。
訪ねてくる人はいたけど、頼る事はない。
そんな私に相棒ができた、2016年はまだ頼りなく、ヒョロヒョロだったけれど、今年はパワフルだ。
分担をすることで、考える事や悩むことは多くなったけれど、結果的により良い物が作れる。
苦手だったスクリも良い物を作りたいと考えるヒラメキが湧き出す、腹が立つことも多いけれど、良い物が作れるんだよ。
一人では作れないようなものが、作れる。
おかげで買ってくれた人を楽しませることができる。

SL14Bの今年、私にとってはSL10Bだ。

My Life is 戯気.

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